なぜサッカーを続けているのか?

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高校生の頃、授業終わり楽しそうに帰る同級生を横目にアホほどしんどい走りのメニューをこなしていた。

19時半に練習が終わって寮の門限の20時までに急いで帰るのが日課だった。

大学生の頃、朝帰りの人々とすれ違いながら6時半からの朝練に向かっていた。

高校生の青春みたいなやつや大学生のキャンパスライフみたいなやつは僕にとってテラハの話を聞いてるくらい別世界のものだった。

そして今、大学を卒業して数ヶ月が経つが新社会人の同級生の金曜日の楽しそうなインスタのストーリーはもう違う国の話だなと思って見ている。(実際そうなんだけど。)

羨ましいという思いを感じつつも、僕の選択は常に逆の方になっていた。

楽しみたいなら別の道がある。スポーツで1番を目指したいならたぶん競技変えた方がいい。稼ぎたいなら別の仕事した方がはるかに効率的だ。

僕と同じような境遇の選手達に夢を与えるとか色々考えてる時期もあったけど、謙遜でも何でもなく事実として僕以上にそれを出来る可能性がある選手は悔しいけど沢山存在する。

無理矢理ひねり出すことをやめてみるとびっくりするくらいそこには僕である必要性はない。

僕が頑張っても頑張らなくても試合に出ようが出まいがクビになろうがならまいが誰かの人生に大きな影響を与える事はない。

つまり、僕がサッカーを続ける選択はたぶんあまり正しくない。もしかしたら多くの選手が正しくないのかもしれない。

でも、南米でのボリビアでのサッカーを通して少し気づけた所がある。

それは、間違っている事の格好良さだ。

毎試合のように起きる乱闘も数的不利の守備の場面で飛び込めという指示もボッコボコのグランドでポゼッションサッカーに挑戦しようとする姿勢も全部正論じゃない。

たぶん普通に考えれば正しくない。

乱闘しない方がいいに決まってるし、数的不利の場面では味方の戻りを待つべきだしピッチ状況によって戦い方を変えるべきだし。

たぶん彼らに論理的な根拠を求めたらいけない事だらけだ。

それでも、多くの人間が納得してそのような行動に移す時が多い。

僕がサッカーを続けて理由も似たようなものなのかもしれない。

論理的に間違ってても何となく格好いいと思って続けてきちゃったんだろうなと。

ダサいかダサくないかその基準で選択し続けた結果なのかもしれない。

間違ってるけどそれが良いみたいな事もあると思います。

しらんけど。

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